32.メキシコ (2005年2月18日〜21日)

 

4日目

2/21

<グァダルーペ>

「グァダルーペの聖母」バジリカ〜ベニト・ファレス国際空港〜

ダレス国際空港〜(アトランタ経由)〜自宅

 

露店の道の向こうに、聖地が見えてきた

4日目その1)

いろいろあったメキシコ滞在ではありましたが、とうとう最終日となりました。お昼過ぎの飛行機に乗るまで、時間は短いですが、せっかくなので、グァダルーペに行くことにしました。

 

グァダルーペは、年間なんと!1200万人が訪れるという、中南米随一の巡礼地。ここには、私が教会好きであるということ以上に、思い入れがあります。それは、以前「西南部・砂漠の旅」でテキサス、アリゾナとニューメキシコを訪れたとき、なぜか、どこにも同じ聖母の絵が掲げられていて、不思議に思ったことがありましたが、その謎が、今回解けたからなのです。それも、本やインターネットなど、机の上で得た情報としてではなく、実際に現地に立って、生きた形でその謎が解けたことには、感動しました。

 

ホテルからタクシーを頼むと、現れたのは、英語はそこそこしゃべれる、仲本工事似の、おだやかな感じの運転手さん。グァダルーペの聖地に近づくにつれ、さすが、一大巡礼地だけあり、日本の神社仏閣と似て、お守りやお札などのグッズが売っている露店が並んでいます。もちろん、聖母グッズですが・・・どのお店も、売っているものは極彩色!いかにもメキシコ!って感じがします。

 

聖地の地下駐車場で車から降ろしてもらい、ナンバープレートをデジカメで撮っておきます。仲本運転手は「では、一時間後に。」と言って、雑踏に消えていきました・・・というわけで、見学時間はたったの1時間。駆け足です。

 

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これがその、実物です!ピンボケですが・・・

グァダルーペは、聖母出現の奇跡が起こった場所です。聖母出現は、いろんな所で起こっていて、それぞれが巡礼地になっていますが(中でもルルドは有名ですね)、このグァダルーペの聖母は、絶大な信仰を集め、スペインに征服された植民地の隅々まで広がっていったのです。その結果、アメリカでも遅くにメキシコから編入された州にも、その信仰が残っていて、同じ聖母像がどこでも見られたというわけ。

 

1531年12月9日に、テペヤクの丘で、キリスト教に改宗したインディオのファン・ディエゴの前に、聖母マリアが現れ、聖堂を建てるようにと諭します。ディエゴはそのことを司教に報告に行きますが、信じてもらえませんでした。12月12日に再び聖母が彼の前に現れた時には、冬だというのに、聖母の周りにはバラの花が咲き乱れていたということです。ディエゴは、それを奇跡のしるしとしてマントに包んで司教の前に持って行きます。マントを広げると、そこには、太陽のように光り輝く聖母像が写り込んでいました。彼のマントに写った奇跡の聖母像が、それ以来現在まで、巡礼者の参拝を受けるために、大聖堂に掲げられているのです。

 

庭にある黒い肌の聖母とインディオたちの像

 

この奇跡の裏には、エルナン・コルテスを初めとするスペイン征服者たちの出身地にも、1300年代にインディオと同じ色の黒いムーア人の聖母が出現した伝説がある、とか、聖母が現れたテペヤクの丘が、もともとインディオが信仰していた女神を祭った丘だったため、インディオの信仰とキリスト教を結び付けやすかったのだ、とか、策略のニオイのする事実が付きまとってはいますが、本家カトリックからも正式にこの聖母の奇跡は認められており、2000年になって、ヨハネ・パウロ2世よりファン・ディエゴは聖人に列せられました。また、聖母の写真のデジタル画像解析の調査により、聖母の瞳にディエゴの姿が写っているとか、3人から12人の人物が写っているとの結果も出たりもしています(一応その研究論文の本など買ってきてしまった・・・ちゃんと読んでないけど^^;)。この奇跡の聖母像へは、信者さん以外からも、常に熱い視線が浴びせられているようです。

 

聖地の中央広場に立つと、たくさんの教会がひしめき合って建っている感じがします。まず、広場の正面にでーんと構えた3つの聖堂が目に付きました。向かって左側の、異様なまでにモダンな建物は、現在「奇跡の聖母像」が安置されている大聖堂。真ん中には、金色のドーム型屋根の旧大聖堂、その隣の赤い屋根は、元カプチン会修道院(スペイン支配時代に絶大な勢力を誇った、フランシスコ会修道会の女子部)。その他にもまだまだ、百花繚乱の聖堂の群れ・・・さすが聖地・・・(次ページの地図参照)

 

一瞬、代々木の国立競技場かと・・・

 

金色のドームが目立つ

メキシコの歴史に翻弄された元修道院

  

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